廃屋から見えてきたのは、ちょっと優雅な日常生活。「確かにここにいたという証しに目頭が熱くなる」「先人達が生きた日常の一部分が見えるの好き」と大きな反響を呼んでいます 。
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me_young_sitterさんの連続投稿
※時系列に沿って掲載しています
祖父がかつて山奥に別宅を建てていて、たまに知人や親戚を招いていたという噂があった。自分が生まれた頃には既になく、その存在自体を知ったのもここ数年のこと。親戚も遠方&高齢化で話をする機会もなく、記憶にすらない者が殆ど。果たして今どうなっているのか?曖昧な情報を頼りに山に入ってみた。pic.twitter.com / HvfYo18SFP
ちなみに先程の階段画像は親戚情報にはなかったもので、後年に誰かが作ったもののようである。なので下山時に使ったこの階段ではなく、実際には道なき道を藪こぎしながら進む。pic.twitter.com / sQlQCaPnp4
だんだん人工物が増えてきた。3枚目は山水を貯めておく貯水槽。pic.twitter.com/1y6jM0Hvj0
かつては畑であったと思われる平場。だいだいの木があって皆でもいで食べたのだとか。pic.twitter.com/PScHIQpaz2
灯籠や観音さま、歌碑。観音さまは昭和10年の銘あり。歌碑はくずし字と変体かなのオンパレードで読めず。解読班求む…pic.twitter.com/H4jHJ9hg5v
おや?これはもしかして…pic.twitter.com/f7yvwuX9Sp
噂は本当であった。既に倒壊はしていたが、どんな建物であったかを想像するには十分であり、よくぞ50年弱も放置されつつもここまで残っていてくれた。あると言われていた茶室こそ原型は留めていないものの、五右衛門風呂はあった。たしかにここで、祖父や親きょうだいが楽しい時間を過ごしていたのだ。pic.twitter.com / aBzJfFjzkW
便器は全穴式。「瀬258」の刻印あり。戦時中に瀬戸で作られた統制陶器だ。祖父は既に当時40代であったため招集もされずに、国難のさなかにこんな余暇施設を作っていたということか。多趣味だった祖父らしいといえば祖父らしい。pic.twitter.com / C8M29SNrrt
最後に、お決まりの瓶たち。タカラビールにキリンレモンクレール、オーシャンウイスキー。新しくても昭和40年前後のもので、末っ子の母が思春期に入ってだんだん足も遠のいた、ということか。いつも山で瓶を拾ってますが、これが祖父や母が飲んだかもしれないと思うと何か特別な感情が湧いてきます。pic.twitter.com/3FhzLi3MVt
皆様、多数のコメント&感想ありがとうございます。反響の多さに驚いています。個別に返信できず申し訳ありません。下山し親戚に話したところ、「よくぞ見つけてくれた!」とたいそう喜んでいました。普段、このような場所をうろついて喜ばれたことなどないので不思議な気持ちです 。